都の写真美術館で『スケッチ・オブ・ミャーク』を観てきた。音楽プロデューサー久保田麻琴が出会った宮古島の神歌・古謡の数々、歌い手のしわくちゃのおばあたち、神司たちが味わい深く、語り、歌う。おそらく、共同体の崩壊とともに、歌い手の老齢化とともに、これから消えてゆく運命にあるであろう歌ばかり。
http://www.sketchesofmyahk.com/
これをもっと風や鳥の声や虫の羽音や自然の音のなかで聞きたかったなぁと思う。久保田麻琴さん、お願いだから、あんまり音を整えすぎないでと、そこのところを残念に思いつつ、歌を聴いた。
しっかし、8月の豊年祭であるミャークズツの風景には驚いた。なんで男たちは背広着て、ネクタイ締めて、鉢巻して踊ってるの? いつ、これが、島の男の正装になったんだろう? 明治の頃? なんで背広? それはともかく……。
神歌が消える、古謡が消えるという事態は、祈りが消えてゆくという事態にも等しいように感ずる。
石垣島に水牛老師の歌を聴きに行きたくなった。