もう百年たったんだな、と言う男が理想

慌ただしい。
チェチェンのこと、ハンセン病のこと、ミナマタのこと、イベントごと、いろいろ。
こうして書き並べると、世の人が時に(というか、たいがい)、私のことを社会派と呼ぶのも無理ないなと思いつつ、
私自身は市民運動は苦手、協調性なし、羞恥の念なくしては正義とか口にするのは困難……。
いつも考えているのは、ここにある声にならない声をどう聴き取って、どう言葉にかえていくかということで、
つまりは、
「聞きえないことを聞く」「見えないものを見る」「語りえないことを語る」「語り継げないことを語り継ぐ」ということばかりを
ずっと考えているわけで、そのうえ、今どうこうということより、百年後、五百年後、千年後のことばかりが気にかかるわけで、
およそ世俗的でも、現実的でも、具体的でも、運動的でもなく……。
百年じっと待ってくれる人、たとえば、漱石夢十夜の第一話の男のように、じっと待ってくれる人々がこの世にたくさんいるならば、と思う。待ち続けて「もう百年たったんだな」とぽつりと言うような人。

レヴィナスを読んでいる。
レヴィナスが引くドストエフスキーの言葉。
「私たちはみな、すべての人に対して、あらゆる面ですべてのものごとに対して罪を負っているのですが、なかでもいちばん罪深いのはこの私です」(『カラマーゾフの兄弟』より)