はじまりのために

気がつけば、3月も終わろうとしている。
俗事に振り回されたこの月は、(お金の計算をしたり、人間関係の調整に動いたり、広告を作ったり、弁護士さんにいろいろ相談したり、まあ、いろいろ、きわめて現実的なことばかり、人間ってなんだかねということばかり)、
気がつけば、書くことの脳がすっかり死んで、集中力も失って、一行書くのに、1時間かかる始末。

独りぼんやり、心を開放して、妄想のひとときを楽しみたいと願う今日この頃。

久しぶりに手に取ったアーレントの『全体主義の起源』の末尾の言葉をしみじみと読む。

「始まりが存在せんがために人間は創られた」とアウグスティヌスは言った。この始まりは常に、そしていたるところにあり、準備されている。その継続性は中断されえない。なぜならそれは一人一人の人間の誕生ということによって保障されているのだから。