骨片文字

草津の谺さんから、詩人村松武司編の療養所の十人の詩人たちの詩集『骨片文字』が送られてきた。
1980年に刊行された詩集。
編者の村松武司はハンセン病者ならぬ自身のことを「非ライ」と呼び、
世界の片隅に追いやられるばかりだった「ライ」を、世界の中心に置いた発想と、
療養所の詩人たちを驚かせた人物でもある。
村松は、非ライ、非朝鮮であること、
つまり、ハンセン病と朝鮮の問題を不可視の領域に追いやることで近代日本は成立したと真摯に語る人だった。

さて、その村松武司の『骨片文字』の序、これが胸に食い込む文章。

「この詩集を、たんねんに、注意深く読んでいただきたい。明治四〇年生れの武内慎之助さん(故人)を除けば、平均年齢五十四歳。老いてなぜ詩を書くのか、という問いに対する答えは明らかである。詩が青春の所産であるならば、まさにその青春のすべてが奪われたから詩を書くのだという、すさまじい文学的な弾性が、この十人の詩人のなかに存在しても不思議でない。
(中略)
 このようにして、奪われた人間がかろうじて主張しようとするわが生が、詩となる。かぼそく、小さな生の声であり、じつはそのことが、他の何者もなしえなかった大きな主張=全体的回復への渇望の声となる。いま、草津の「つつじ公園」、碑のそばに立つと、足もとの赤土に白く乾いた小石のようなものの散乱をみる。掌にのせれば軽い。それは無数の骨片だ。砂礫のように小さなものが、生者と死者の共有の記憶である。それらが文字となってなお残ろうとする。日本からやがてライが消えても(すなわちハンセン氏病の人が死に絶えても)、この詩集が消えることのないように、誰かの手に確実にわたされてゆくように、せつに願っている」

そして、2013年の今日、詩集『骨片文字』は私のもとに届いた。