詩人佐々木幹郎さんの『東北を聴く−民謡の原点を訪ねて』(岩波新書)を読む。
帯にこうある。
「修羅場を潜り抜けてきた語りのことばの強さ。聴く人がいるときに始まる物語。それを聴き届け、その声を編むことによって、新しい津軽三味線の「口説き節」(語り物)を作りたい。それがわたしたちの願いであり、民謡と語りをめぐる、東北への旅のはじまりだった」
佐々木幹郎さんは二代目高橋竹山とともに、震災後の東北を旅する。
初代高橋竹山がまわった三陸海岸をまわる。
初代高橋竹山は昭和八年の大津波を三陸の野田村(岩手県九戸郡)で経験しているという。
3・11後の東北を門付の旅芸人のようにめぐる佐々木幹郎さんと二代目高橋竹山は、人間が本当に歌を必要とし、語りを必要とするぎりぎりの場を訪ね歩くことにもなる。
3・11のあのとき、大津波迫る大船渡で、瓦礫の下で民謡「八戸小唄」を歌っていた老人がいたのだという。その声を聴きながら、「神さま、許してください。今日だけ私は悪い人になります」と、瓦礫の下の人を助けることもできずに泣きながら迫りくる大津波から逃げた人がいたのだという。
3・11後の門付の旅芸人たちは、生き抜くためにこそ歌声をあげる、そんな人間たちの歌をめぐる営みを痛切に感じることになる。
佐々木幹郎さんが本文中に引用する二つの言葉がまことに印象的。
ホメロスにとっては、もし神々がわれわれの上に不幸を降り注ぐなら、それは人がそこから歌を生みだすためだ
(『ハイチ震災日記――わたしのまわりのすべてが揺れる』ダニー・ラフェリエール著 より)
すべての見えるものは見えないものに、
聞こえるものは聞こえないものに、
感じられるものは感じられないものに、
付着している。おそらく、
考えられるものは考えられないものに
付着しているだろう。
(ノヴァーリスの詩より)
見えないもの、聞こえないもの、感じられないもの、考えられないもの、そこに宿る魂を私は想う。
私の旅もまた、ひそかな声で歌う魂をめぐり歩く旅であれと想う。
ますます困難な旅であろうとも、歩け歩け旅してゆけ、と想う。