イタコの「お岩木様一代記」に語られる岩木山のご神体、あんじゅが姫を訪ねる旅に出た。
「お岩木様一代記」では、苦難の旅の末にあんじゅが姫は岩木山の山の神となるのである。
そして、付け足しのように、兄の「つそう丸(厨子王)」は駿河の富士山の神に、姉の「 おふじ」は小栗山の山の神になッたことも語られる。
(ここで、脈絡なく思い出すのは、石垣島の於茂登岳の神にまつわるこんな話。首里の弁ヶ岳、於茂登岳、久米島の三神は三姉妹であり、日本から渡来したともいう。長女は弁ヶ岳、次女三女は久米島を居所としたが、次女は自分の山が妹のいる山より低かったので、八重山に移って於茂登岳に垂迹して島の守護神になったという)
さあ、まずは、弘前のバスターミナルから岩木山神社目指していく。岩木山神社がお岩木様の入口だ。
弘前市内から岩木山へと走っていくバスの車窓からは、津軽全体を抱きかかえるように裾野が広がる岩木山がよく見える。
旧暦の8月1日には、津軽の各町村から、お山参詣の集団が山頂でご来光を仰ぐため、
岩木山神社のわきの登山道から、登山囃子を唱えながら、山頂めざして登っていくという。
サイギサイギ ドッコイサイギ オヤマサハツダイ コウゴウドウサ
イーツニナノハイ ナムキンミョウチョウライ
この呪文のような言葉の意味は以下の通り。
懺悔懺悔/過去の罪過を悔い改め神仏に告げこれを謝す。
六根懺悔/人間の感ずる六つの根元。目・耳・鼻・舌・身・意の六根の迷いを捨てて汚れのない身になる。
御山八大/観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩・地蔵観音・普賢菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩・金剛夜叉明王
金剛道者/金剛石のように揺るぎない信仰を持つ巡礼を意味します。
一々礼拝/八大柱の神仏を一柱ごとに礼拝する。
南無帰命頂礼/身命をささげて仏菩薩に帰依し神仏のいましめに従う。
そして、無事登拝の後は、岩木山神社の楼門からバダラ踊りをして帰途につく。
いい山かげた朔日山かげた…バダラ、バダラ、バダラヨー
バダラは「跋折羅」=バサラ。お山に登って降りてくる、死と再生の道程の最後には祝祭空間が待っている。
というわけで、旧暦8月1日もかなり過ぎた9月6日に、
旅仲間うーの画伯とともに、サイギサイギと唱えながら、まずは岩木山神社に参拝して、
そして登山道へと入り込み、登山装備をしていなかった我々は、それでもせめて姥石まではと、
蛮勇を発揮して、軽装で登山道を歩き始めたのだった。
そもそもがヘタレの二人なので、はなから本格的登山など考えてはいない。
もし軽装でも行きつけるところに姥石があればという淡い期待を心の杖に・・・。
なぜ姥石なのか?
そこから先がかつては女人禁制で、あんじゅ姫のお供で山に入った乳母が、
女人禁制の境を踏み越えたために石になったという謂れがあるのだという。
つまり、『お岩木様一代記』に入り込んだ物語『山椒太夫』の気配が、この姥石にも漂っている。
「姥」といえば、説経節『山椒太夫』では安寿と厨子王一行の忠実なる侍女「姥竹」。
『山椒太夫』ゆかりの地・直江津(ここで安寿らは人買いにかどわかされる)においても、
もともとの土俗の神の「乳母嶽明神」と直江津沖で人買い舟から身を投げて死んだ「姥竹」がまじりあったかのように、
姥竹供養塔と呼ばれる石塔がある。
その土地土地で、その風土に根ざして、その語り手次第で、(瞽女やら座頭やらイタコやら…)、
『山椒太夫』という物語も変容したり、その気配だけが語りの中に染み込んだり。
ふっと思う。
「歌は歌う者が主」とは、八重山の島々で唄を聞き歩いていた頃にに、骨の髄まで思い知らされたことであるが、
(それは近代以降の人間と歌の関係性とは根本的に異なる。岩波新書『瞽女うた』でジェラルド・グローマー氏が瞽女唄を通して問いかけていたことでもある)、
同じように、「物語は語る者が主」なのだと、「語りの道」を旅するほどにつくづくと思う。
これはさらに踏み込んで言うならば、歌い手と聞き手、語り手と聞き手が、一つの「場」をともに創りだすことによって唄が歌われ、物語が語られるのであり、つまりは「聴く者が歌の主であり、語りの主」でもあるのだろう。
風土に根ざして生きる者たちの声、その息遣いが形作る「唄の場」、「語りの場」への眼差しなくしては、唄も物語もそこに息づく命の声にはけっして触れえないのだろう。
と、これは今の世に目には見えない「語りの道」をたどって彷徨う自分自身への戒め。
さてさて、登山道の入口750メートル地点に姥石と案内板にはあった。平地ならばたいした距離ではないが。
一応、姥石は登山道のどのあたりなのか、地元の人に聞きはしたのである。ところが、尋ねた誰もが要領を得ない。
岩木山神社のお守り販売所の巫女の装いの若い女性にも聞いてみたが、わからぬと言う。
はなから山頂への登山は諦めているので、せめて、お岩木様のご神体のあんじゅが姫の物語世界の扉ともなる姥石に我らはたどり着けるのか、
とはなはだ不安な心持で登山道を行けば、山頂から降りてきたと思しき重装備の若い女性。
「姥石はまだまだ先ですか?」
その女性曰く、
「まだずいぶん先です。でも、姥石に行くには、その手前にかなり急な道がありますから、そんな軽装では無理です」
女性の腰にはいくつもの熊よけの鈴。あ、熊も出没しているのか・・・。
こうして、ヘタレ二人組は、姥石とあんじゅが姫に思いを残して、登山道の序の口のところ、30分地点で引き返す。
あんじゅが姫は、遥かかなた、まだその裾野をうろうろと彷徨うばかり。
<岩木山神社楼門>
あとでこの案内板をよくよく見れば、「姥石」の手前に「鼻こぐり」という急坂あり。
鼻がひっつくほどの急坂なのだろう。
なるほど、人間は見たくないものは見ないものなのである。
見なかったことにして、蛮勇二人組は「姥石」をめざしたのだった。