★詩、ひとつ。

[[「晩秋」  塔和子]]

あなたは
私のために何をしてくれたか
心のうつろを埋めてもくれなかった
心の寒さもひきむしってはくれなかった
  けれども居ることによって
  安らいをもたらせてくれた
  大地の上に共に居るという
  安心感を与えてくれた
私はあなたのために何をしたか
あなたの心のひもじさを
とりすてて上げ得たか
あなたの痛みを痛むことができたか
あなたの哀しさを哀しみ得たか
  夫よ
  一対であることにおいて
  底を流れるかなしさは
  あなたもひとりで哀しむだけでよかったのが
  私と一緒であることにおいて二倍
  私もあなたと一緒であることにおいて二倍

晩秋の小川のようにうすら寒く
  遠いところからやってくる
  存在のさみしさそのものを
  見つめている私達


★詩、もうひとつ。

「選ぶ」  塔和子 

選ぶことは捨てることだ
百から十を
十から一を
選んで九十九を捨てる
この人を選んであの人を捨てる
この道を選んであの道を捨てる


★詩に寄せて。

人は、
さみしさも哀しみも痛みも、けっして埋めあうことなどできなくて、
ただ一つ確かにできることは、存在のさみしさ、存在の哀しみを共に見つめて、
共に居るということなのだろう。

存在の芯に宿るさみしさや哀しみや痛みを、
瞬間の気持ちよさや楽しさや別のなにかで埋めようとするならば、
それはそもそもが不可能なことだから、
(なぜなら、たったひとりで生まれて、たったひとりで死んでゆく命そのものが、そもそも哀しくさみしいものだから)
人間にできるのは命の哀しみを、ほんの束の間、刹那的な歓びで忘れるくらいのこと。

その刹那を積み重ねて哀しみから逃れ出ようという欲望に身を盗られてしまえば、
それは底なし、終わりがない。
欲望を重ねれば重ねるほどに、誤魔化しや目くらましの卑しさときりのなさに、命はますます哀しむ、
根のない歓びに足をさらわれるばかりの愚かさに、命はますます傷む、
生きることがますます恥ずかしくさみしくなる。

ただひとつ、
寄る辺ない命が、お互いのどうしようもない寄る辺なさを感じあって、
その寄る辺なさにただ寄り添うことができるのなら。
求めず、むさぼらず、恨まず、憎まず、もたれかからず、突き放さず、
ただその哀しみの温度をひそやかに感じて、傍らにいることができるのなら。

そうか、おまえも哀しいか、ああ、私も哀しいさ。
おまえも私も二人ながらに哀しい命だ。
おまえの哀しみは、それがおまえの哀しみだからこそ、愛おしい。
私の哀しみは、それが私の哀しみだからこそ、おまえは私の哀しみが愛おしい。

おまえと私と、
共に居ることの哀しみを選ぶ。
それを愛と呼ぶなら、愛でもよい。
覚悟と呼ぶなら、覚悟でもよい。
呼び方などはなんでもよい。

共に居るということを選び取ったき、
命の哀しみから、生きる歓びがこんこんと湧きいずる。
歓びの芯には、命の哀しみ。

この哀しみを心を込めて慈しむことができるのならば、
人は道を過たずに生きていけるのだろう。
本当の命を生きるのだろう。