昨日10月13日は城下町高田(新潟)の有形文化財の町家にて、


高田瞽女の祭文松坂『山椒太夫』全段を聴いた。
演者は瞽女唄継承者の萱森直子さん。
最後の長岡瞽女小林ハルさんと最後の高田瞽女杉本シズさんをを師匠に、瞽女のようにひたすら耳から覚えて、歌い語るときはじっと目をつぶって、越後の風雪にギザギザ削られたような荒く強く芯のある三味の音と、媚びずおもねらず潔く投げ放つような太い声で歌い語り演じる。


三味の音は、瞽女の祭文松坂の場合、若干の変化も時にはつけつつ、基本的に同じ手を繰り返し、
その繰り返しに物語をのせていく。
はじまりもクライマックスもおわりもなく、音は淡々と波のように寄せては返す、寄せては返す、
物語を運んで、寄せては返す、波のグルーヴ。
音だけでなく、言葉の繰り返しもまた波のグルーヴ。
(しかも、その音の響き方は、弾くというより、打つにちかい。打って、空気を、場を揺るがす)。


さて、瞽女の「山椒太夫」は、同じ山椒太夫という名ではあるが、説経の「山椒太夫」とは根本的に違う。
森鴎外山椒大夫」とも、津軽のイタコの「お岩木様一代記」に織り込まれた「山椒太夫」とも、もちろん違う)。
高田瞽女の「山椒大夫」とは、「直井の浦(=直江津)の舟別れ」がすべてであり、それに尽きる。


越後・高田は、安寿と厨子王の一行が人買いにかどわかされる直江津の真隣りの土地で、ゆえに直江津は語り手の高田瞽女たちも聞き手たちにとっても肌でよく知る地元とも言える場所でもある。
直江津(あるいは越後)の土俗、日々の暮らしの中に、説経「山椒大夫」が取り込まれて、噛み砕かれて、いらないところはポイと捨てられて、あらためて生まれなおした、直江津のみが物語の場となる「山椒太夫」を高田瞽女たちは歌い語るのである。

それは説経のように神の謂れを説く形式を取るのでもなし、厨子王をメインに据えた貴種流離譚のお話でもなし。
そこにとうとうと流れるのは、親子の別れの悲しみと痛み、かどわかされた悲しみと怒り。
不条理に巻き込まれた人間の情念に焦点を当てた物語として、
悪人すら別れの悲しみに一瞬は涙するといういかにも人間らしい物語として、
そして現実においてはけっして果たされぬ復讐の物語として、
高田瞽女の「山椒太夫」はある。

高田、直江津、越後の地の、さまざまな理不尽に襲われながら生きる、(それが生きるということである)名もなき民の心に渦巻く情念を、直江津という土地、越後の風土に根ざした声で、やはり盲目ゆえにあまたの理不尽を背負って生きた瞽女が歌い語る。それを人々は繰り返し繰り返し聞く。そうして物語は命を得る。





その歌と語りの声を、自分は瞽女ではないのだと確かに前置きしつつも、瞽女が物語ることに込めた情念を受け継ぐべく身を削る努力を重ねている演者から、高田の町家で、まるで昔の瞽女宿のように人々が集うなかで聴く僥倖。


高田では、瞽女の絵を命を懸けて描き続けた斎藤真一の絵も見た。


町おこしの一環で最近新たに作られたという「瞽女もなか」も食した。
三味線の胴の形をした「瞽女もなか」の箱の掛け紙には、菱川師宣の「河を渡る瞽女」。



相川の
ながれを渉る
瞽女の手を
引いて情の
瞽女最中かな
(市川信夫)