時代と拮抗する言葉と方法を・・・。『東北学/もうひとつの東北』

赤坂憲雄『東北学/もうひとつの東北』を読んでいる。

遅れてきた民俗学徒を自認する赤坂さんは、いまあらたな民俗学を立ち上げることの可能性を語る。
柳田民俗学を今の時代に批判することはたやすい。しかし、批判に終始して、柳田民俗学を超えるあらたな学が立ち上がってこないならば、なんの意味があろうか。現在の学問状況へのそんな痛烈な批判と反骨の精神をもって、赤坂さんは民俗学の可能性を語るのである。

いま民俗学に可能性があるとするならば、それは柳田国男民俗学を創りあげたその出発点にあった志にまでさかのぼること。つまり、柳田民俗学の内側から赤坂さんは新たな民俗学を切り拓くことを志す。

柳田の初志。一つは、経世済民
「何故に農民は貧なりや」の問いにはじまり、学問によっていかに民を救い、世を立て直すかという問いを核心に置いた初志によって突き動かされていった柳田の民俗学者としての道のりがある。

柳田の初志。もう一つは、近代日本の日本人としてのアイデンティティの問題に確かな答えを与えること。
柳田の一国民俗学は、生まれたばかりの国民国家の国民として、日本とはなにか、日本人とはなにか、という問いを核心に置きつづけていた。「ひとつの日本」という物語を浮かび上がらせるための役割を担うものとして一国民俗学は構想されてもいた。それは近代日本自体が、近代を生き抜くために、学問に対して強く求めたものとも言えるかも知れない。


そしていま、この時代に民俗学が構想される意味があるならば、そこに大きな可能性があるとするならば、国民国家(=ひとつの日本)のほころびの中に生きる私たちの前に、隠されていた「いくつもの日本」を開いてゆくこと。「ひとつの日本」から「いくつもの日本」へと道をたどり直していくこと。

それは赤坂さんの志においては、現代の日本社会における経世済民にたしかに結びついている。

「学問が無力であるのは、民俗学とは限らず、この国の学問に普遍的に見いだされる事実である。たとえば、いま・そこにある村という現在を掬い取る言葉や方法が、どこにも存在しない。現場にかかわる学問の総崩れ現象が、あきらかに起こっているのである」

東北を見つめながら、とりわけ3・11以降の東北を意識しながら、東北と東京とを行き交いながら、新たな民俗学を構想する赤坂さんのこの切実な言葉を噛み締めつつ読む。

「必要とされているのは、いわば制度の内側でわずかな既得権益にしがみついている民俗学ではない。柳田の初志であった、経世済民の志にゆるやかに繋がってゆく、野の学問としての民俗学である。それを必要としている、この時代の常民たちはたしかに存在する」

「時代と拮抗する言葉と方法を探さなければいけない」

「ひとつの日本」をむやみに信じてしがみつく者たちがますます横暴になりつつある今の時代に、表現に携わるすべての者が噛み締めるべき言葉として、この赤坂さんの言葉を私は胸に刻む。