4月3日大阪で。

今日4月3日は、済州島4・3事件から67回目の春。


済州島は南北分断へと闇雲に向かった李承晩政権に抵抗したがゆえにアカの島とされて、政府による無慈悲な虐殺が繰り広げられた島。その記憶が押し殺され続けた島。ノ・ムヒョン大統領がようやく国家の過ちを認めて謝罪したというのに、後に続いた李明博朴槿恵の右寄り政権で揺り戻しが起こり、この二人は4・3の記念式典に参加しもしない。国家によって殺された死者たちに鎮魂の祈りを捧げることもしない。


静かな怒りを胸に、今日は、空白の記憶に祈りを捧げる日。封じられた記憶の声にじっと耳を傾ける日。声もなく消されていった人々のささやかでかけがえのない一つ一つの物語に思いをはせる日。


今日4月3日は、大阪・天満橋辛淑玉講演会があった。大阪の友人たちが関わるこの会に顔をだし、東京ではなかなか会えない辛淑玉に大阪で会った。辛淑玉の語りをじっくりと聞いた。


「桃太郎」の鬼はなぜ殺されたのか? 
なぜ鬼ヶ島なるものがあるのか? 
猿、雉、犬は、キビ団子たったひとつで鬼の殺戮に駆り出されたのか?
鬼の宝は桃太郎一家の独り占めか?

という問いを発しながら、「桃太郎」を語りなおしていく。
そんな話を導入として、ヘイトスピーチはびこ世の中のいびつさを語っていく。
でも、誤解なきよう。いびつなのは日本人のなかにいるだけではないから。在日だっていびつなのはいびつだから。そのいびつを生み出すものが何であるのかをぎりぎり考えてはじめて差別というのはわかるんだから。


ヘイトの言葉は高みに立ったやたらと大言壮語の言葉ばかり。なにしろ国家や民族の正義を謳いあげる自分に酔う言葉だから。
でも、恐ろしいことに、国家のため、正義のため、という幻のような大義に身を任せた者は、蛮勇をもって大義に命を懸けてしまうこともある。
憎しみや呪いを分かち合う器としての「大きな物語/国家の物語、正義の物語」は、正義のための美しい死を呼ぶ物語ともなる。


でも、とにかくやつらは命がけなんだ、そのやつらに対して、私らは命がけで対峙できるのか?


そんな問いを突き付けられた夜。


取るに足らない、ささやかな物語を語ること。
声にもならない痛み、哀しみを分かち合うための器としてのささやかな物語を大事に大事に運ぶこと。、
語り手はつねに地べたにかぎりなくちかいところを這うように旅する者であること。
そのようなことにこそ命を懸ける甲斐もあるのだということ。

そんなことをつらつら思ううちに夜も更けて、
そうだ、今夜はせっかく天王寺に宿を取っているのだから、明日は朝から四天王寺を詣でて、そして、この春の「語り」の旅の出発としよう。


四天王寺西門は、あの世とこの世の境目の場所、この世からはみ出た者たちが吹き寄せられたところ、琵琶法師も、説経節語りも、癩者も、乞食も、説経節の主人公の信徳丸も、厨子王も、四天王に吹き寄せられた。


この春の「語り」の旅は、4月2日より新潟日報で連載開始の「平成山椒太夫 あんじゅあんじゅさまよい安寿」へと結ばれてゆく旅。
命がけ。