雄山閣の『盲人の生活』(大隅三好著)を読んでいる。

古代社会から近現代に至るまでの、古事記日本書紀からさまざまなあることないことの文献を繙いて「盲人の生活」の歴史をたどっていくのだが、この著者が、なにか一言、世に物申したいオジサンで、とりわけ昭和の戦争については何か腹にすえかねる感じが漂っていて、ときどきツボにはまってしまう。
盲人には関係のないところでウケてしまって、ニヤニヤしながら読んでいる。

「盲人」は歴史上、いつ現れたか。こんなところから生真面目にお話は始まるのだが、
著者曰く、
「我が国の古代社会が、波静かで平和な日常生活ばかりでなかったことは、これまた確かなことである。大和朝創設への道筋は先住民との争いの過程であったことだろうし、同属同士の争いだって少なくなかった。これらの争闘・戦乱が多くの「盲人」をつくりだしたであろうことも確かなことだろう。こうしたことは太平洋戦争を経験した者であれば、誰でもがよく知っていることである」

あるいは、「近世の盲人」を語るのに、その前置きで、
「秀吉は、いかにも乱世という異常時にくるい咲いた成り上がり者である。だが、後年、日本が武威を四隣に示すようになると、この秀吉が国民的な英雄とされるようになるのだから、この国はおかしなお国柄である。また、このおかしさをおかしさとしないところにも、太平洋戦争期のおかしさがあると言えそうである」


どの時代を語っても、その時代のよからぬところへと語りが流れていくときには、引き合いに出されるのは太平洋戦争。


戦争きらい、軍人きらい、
ほかにもいろいろ文句を言いたいことはあるようで、
いやなものはいやの、内田百間みたいで、
盲人のことを読んでいるのに、そっちの心情についつい気を取られる妙な本。