さて、説経祭文「三荘太夫」では、海に飛び込んだうは竹は「はたた神」になって、直江津一帯に嵐を呼んだわけである。
「はたた神」。これは霹靂神とも書いて、激しい雷、いかづちの謂い。
はたた神は、同じく薩摩若太夫の説経祭文「小栗判官・照手の姫」の第一段「御菩薩池段(みぞろが池の段)」にも登場する。
小栗判官の吹く笛の音に魅せられたみぞろが池の龍女が、小栗を誘惑して、契って、やがてみぞろが池に帰ってゆくのだが、みぞろが池の龍王が事の次第を知って大いに怒る。龍女を池に入れまいとする。池に入ろうとする龍女と入れまいとする龍王と。
「震動 雷電 霹靂(はたた神) 大風民家を吹きつぶし 雨は車軸を流しける 二夜三日が其内は 誠に昼夜の分ちなし 帝にては大臣公卿集まりて 時の博士を召され 占はせ みるに 「是は三条高倉大納言兼家卿の嫡子 小栗判官政清 みぞろが池の大蛇と契りを籠め 大蛇 八大龍王の咎めを蒙り 池に入る事叶はぬゆえ かかる荒にて候」と見通すことに奏聞す 帝大いに逆鱗ましまして 「にっくき判官政清が振舞」」
はたた神。龍王。大蛇。うは竹。
小栗と三荘太夫と、二つの説経祭文は、「はたた神」を介して、同じ世界観に結ばれてゆく。