直江津の加藤亭

昭和56年発行の『古老が語る直江津の昔』(北越出版)の中のエピソード。

その昔、直江津の寄席と言えば、加藤亭。
たった一つのこの寄席では「うかれ節」をやっていて、みんな聞きに行ったものだ、とひとりが言えば、もうひとりが、いやいや、うかれ節だけじゃないよ、なんでもやっていたよ。


さらに古老たちが語ることには、

荻野 「おらうちの裏の大神宮さんで、祭りになると「デロデンデン、デロデン」をわしら家の方に背中を向けて一晩中やっていたもんです」
柿村 「なんですか。そのデロデンというのは」
宮崎 「祭文だね」
中戸 「祭文語りか」
宮崎 「祭文ってのは面白いもんだった。さんざ聞いたもんだ」
荻野 「あれこそ、なくなったね」
宮崎 「うん、宮本武蔵だとか岩見重太郎だとか、やるものはいつも決まってんだな」
中戸 「高田の別院のおたやでもよく聞いたもんだった。大門の角でね。やる場所は毎年決まっていた」
宮崎 「馬市でもやったんだ。春日新田の馬市にねえ」
荻野 「祭文のことを浮かれ節っいうんでないなかね」
中戸 「おらも、昔のことで、なんかごっちゃになっているけどね」
宮崎 「いや、違うんだ。祭文は祭文なんだ。おら、祭文が好きでね。春日新田の馬市行くと、お寺(覚真寺)の大門のところでやるんで聞きに行ったもんだ」
柿村 「馬市というのは盛んだったもんですか」
宮崎 「あれは八月一日から五日までやるんだ。多い年には千頭も馬が集まった。春日新田のしょうは馬の小屋をかけたり、馬に食わせる草を刈ってきたりして、いい商売になったもんだ。
荻野 「あの馬ってもんは、どこから来たんだね」
宮崎 「秋田だね。あっちの方からばくろうが引っぱってくるんで」
柿村 「馬市というのは、いつごろまであったおんでしょうねえ」
中戸 「やめたのは戦争中でないかったかね」
宮崎 「そうだね。戦後はもうやっていないね」


話は、浮かれ節から、デロレン祭文、そして馬市へ。
面白いねぇ。