直江の浦の沖合の波を想う


4月に上越を旅したとき、なにより印象的だったのは、北陸道から佐渡の方へと眺めやる時の海の風景だった。
風が吹けば、東から、西から、白く荒ぶる波がぶつかり合い、砕け散る。
四海波、と呼ばれる風景。

この風景が念頭にあったのだろうか。
説経節「山椒太夫」でも、安寿と厨子王と、母御前とうわ竹とが、直井の浦(=直江津)で南の船と北の船に売り分けられて、生き別れていく場面でこんな描写がある。
「声の届かぬ所では、腰の扇を取り出だし、ひらりひらりと招くに、舟も寄らばこそ、今朝越後の国、直井の浦に立つ白波が、横障の雲(横切り、さえぎる雲)と隔てられ」と白く荒れる海を描写する。

荒れる海、立ち上がる波は、龍を思わせる。大蛇を思わせる。そのイメージは、確実に、説経祭文や瞽女唄の「山椒太夫」の中にも息づいている。
語り手たちは旅を生きる者であったから、彼らの旅の風景が語りの中に溶け込んでいる。物語の底には、確かに、語る者と聞く者が生きる現実が潜んでいる。


ちなみに、「四海波静かにて」と謡えば、能の「高砂」。

シテ:今を始めの旅衣 今を始めの旅衣
      日も行く末ぞ久しき・・・・
   ワキ:そもそも是は九州肥後の国 ・・・・・・・
        ・・・・・・・・・・・・
        ・・・・・・・・・・・・
   地: 四海波静かにて 国も治まる時津風
      枝をならさぬ御代なれや
      あひに相生の 松こそめでたかりけれ 
    
    
そして、有名なこのフレーズ。


   ワキ:高砂やこの浦船に帆をあげて この浦船に帆をあげて
     月諸共に出で汐の 波の淡路の嶋陰や
     遠く鳴尾の沖すぎて
     はや住の江に着きにけり
     早住の江に着きにけり