瞽女唄のあるところ、祭文あり!

神保町の古書店キントト文庫で『瞽女ー盲目の旅芸人』(斎藤真一 日本放送出版協会 昭和47年)を入手。
4月の上越の「山椒太夫」をめぐる旅を思い起こしながら、ぱらぱらと見ている。
上越直江津から糸魚川方面へと旅する瞽女達の旅の道を画家斎藤真一はたどってゆく。
海沿いの道から谷筋の村へと、険しい道を歩いて村々を訪ね歩いた瞽女達にまつわる人々の記憶を大切に集めてゆく。

たとえば、糸魚川の手前の梶屋敷から早川谷をのぼって笹倉温泉にまで至るルート。
街道筋の、もうだいぶ奥まったところの土倉という集落の酒屋で、70才ほどのおじいさん五郎左エ門が、高田瞽女杉本キクイのことを思い出しつつ、お酒を飲んで、一杯機嫌で「おりゃ、瞽女唄知っとるぞ」と歌い出す。


「いろはえ、いろは紫、目もとはあさぎ、忍ぶ心はえー、とやぞめえー、君はえー、君はから竹、心は矢竹、思う竹になぜやならえ、レロレンレロレン」

それを聞いた酒屋の奥さんが言う。

「五郎さん、あんたそりゃ祭文じゃないの。この人良い気持になって、しかたないね。そんな瞽女唄なんかありゃしないね」


 瞽女のことを懐かしく語りつつ、ほろ酔いのいい気分で、ごくあたりまえのように祭文を口ずさむ、昭和40年代の山村の一情景。


 瞽女唄といい、祭文といい、今では保存すべき文化財。こんなふうに暮らしの中に祭文のような唄が息づいていた時代のことなど、もうきっと誰も覚えてはいないんだろうなぁ。

 そういえば、7月5日に、佐渡の真明座の人形芝居『曾我会稽山』と『吉野都女楠』を観に行った新潟県立歴史博物館(@長岡)のロビーで、古書市をやっていて、「聞き書き長岡の民俗」というシリーズの小冊子があって、そこには集落ごとの聞き書きがあり、どの集落も、芸能とか旅芸人とかいう項目に、面白いことに、瞽女とチョンガレが村々を巡ってくる旅芸人として並べて書かれているのだった。
 
 さらに、獅子の子(角兵衛獅子のことか)、軍談、飴売りも登場する。よくわからないのは「テンポ語り」というやつ。要確認!

 瞽女を追えば、瞽女と同じように旅に生きた遊芸人たちの姿も浮かび上がってくる。瞽女唄と響き合う旅芸人たちの唄も聞こえてくる。

 レロレン、レロレン、レロレンレン。