福島県郡山市日和田町 蛇骨地蔵堂


蛇骨地蔵堂は養老7年(712)に松浦佐世姫が開山したと伝えられる。
説経『まつら長者』のさよ姫だ。



蛇骨地蔵堂のいわれは以下の通り。

日和田の領主であった浅香左衛門尉忠繁には、あやめ姫という美しい娘があった。家臣の安積玄蕃が求婚したが、忠繁に拒絶され、それを怨みとして主家を滅ぼしてしまった。

さらに残されたあやめ姫に言い寄ったが、姫はついに沼に身を投げて命を絶ってしまった。「死に変わり生き変わり、おまえの仇を討つであろうと」。
あまりの怨みのために姫は大蛇と化し、玄蕃一族を祟って滅ぼした。

それでもなお大蛇は怒り狂い、この地方を荒らし、困った村人は神に祈り、毎年一人ずつ3月24日に娘を人身御供として差し出した。

33人目の人身御供に選ばれた娘の父が片平村の権勘太夫だった。権勘大夫は娘の命を救うべく大和国長谷観音に詣でて、佐世姫という娘と出会う。佐世姫は話を聞くと、自らが代わりに犠牲になると言った。

佐世姫は人身御供となって、沼のほとりに置かれた。そして一心に法華経を唱えていると、大蛇が現れた。ところが大蛇はその法華経によって天女の姿に変わっていき、昇天した。
残された蛇骨で地蔵を作って祀ったところ、日和田の里に平和が訪れた。



この地蔵堂の裏には、大蛇の人身御供となった32人の娘と佐世姫を供養するための三十三観音像が安置されている。
と案内にはあるけれど、これは、「ここで一気に三十三観音札所巡り」と祀られた33体の観音像が、さよ姫伝説と結びついたのですね。




第30番は竹生島

西国三十三所第三十番札所 竹生島宝厳寺(ほうごんじ)。本尊は弁才天
観音堂本尊は千手観音。開基(創立者)は行基とされている。
音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地。日本三大弁才天の1つ。

説経「まつら長者」では、さよ姫は後に竹生島弁才天になる。

そういえば、さよ姫もまた、両親が、西国三十三所第八番の札所の長谷観音に詣でて授かった子なのだった。