傷つけられた人々の声を聞きとるために

と、帯にある。

この本を著者が執筆した2015年の、「日本の政治構造を根本から転覆する第二次安倍晋三内閣の憲法破壊政治が、世界大に展開する合衆国の軍事行動と軌を一にした動き」であるという状況の中で、
著者はその暴力の連鎖のはじまりの地点として、2001年9月11日から議論を立ち上げる。


「哀悼や悲嘆にくれる行為が暴力を受けた後の市民の対応として相応しくないとされ、なぜそうした攻撃を受けたのかという問いも許されず、とにかく何者かを敵として認識し攻撃せよという力への意志を露呈させた9・11事件以降の現象を、近代的な主体の呪縛から逃れられない、あるいは主体であることへの固執の結果として、批判的に考察してみたい」と、議論の出発点で著者は言う。


そして、そこで批判的に語られる「主体」とは、「自己の傷つきやすさ/攻撃を受ける可能性を受け止められず、他者への依存を否認し、かつ過剰に他者(性)から自己防衛しようとするために、他者への暴力をよしとする主体である」とも著者は言う。


この出発点を私も共有する。
ここから、どう議論が展開していくのか、久しぶりにわくわくしながら、読み進めていく。