昨夜は両国のシアターXにて、朗読劇「ディブック」を観た。


ユダヤの民間伝承に伝わる悪霊ディブックの伝説を下敷きに、「前世の契りによって結ばれた若い男女が辿る悲劇を描いたユダヤ演劇史上もっとも有名な戯曲」とパンフレットにある。

2時間弱の長丁場。
生者も死者も同等に扱われるユダヤの律法による裁きの場。
悪霊ディブックの降誕とそのやりとり。
舞台そのものが、悪霊祓いの儀式の場となり、
その緊迫した儀式に立ち会う緊迫感に包まれる。
なんだか、観ている自分もとりつかれそうな、禍々しさ。


同時に、
生も死も貫く誓約のすさまじい重み、戒律のしばりの厳しさもひしひしと迫ってくる。
国家を持たず、どこにあっても他者として生きてきた、さまよえるユダヤの民が、さまよいを生き抜くための、もっとも根源的な倫理に触れたような思いもした。


そういえば、
大きいものにもたれかからず、のまれず、大きいものと闘いながら生きてゆく「個」にとって、何が一番大切なのかと言えば、互いに交わし合った「約束」を守ること、それに尽きるのだと、かつて私に語ったのは、ロシアのコリアンディアスポラのマフィアの親分だったなぁ。セルゲイ親分。ロシアの役人よりもよっぽどまっとうなことを語っていたヤクザのおじさん。

法も誓約も言葉も軽々しくなるばかりの今を思いつつの、「ディブック」雑感でした。