全体主義と理解と和解

理解することは、生きることのすぐれて人間的なありかたである。

人間は誰もが世界と和解する必要があるからである。

世界とは、人がそこに余所者として生まれ、他と異なるその唯一性を失わないかぎり余所者にとどまりつづける場所である。


理解は誕生とともに始まり、死とともに終わる。全体主義的な統治が私たちの世界の中心的な出来事であればこそ、全体主義を理解することは何かを赦すことではなく、そもそも全体主義を可能にした世界と私たちが和解することを意味する。