つた、つた、つた。
二上山に葬られた死者(大津皇子)は、それが大津皇子とも知らず、二上山に浮かび上がるその俤に引き寄せられて、奈良の都から葛城の当麻寺まで漂い出て、当麻寺のわきの廬堂にこもった藤原の郎女(中将姫)を訪う。
死者の呼び声に応える道筋を持たぬ郎女に、その道を開く物語を語って聞かせるのは、当麻の語部の媼。
折口は、その語部をめぐって、こう書く。
「新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が来てゐた」
「もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信をうちこんで聴く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中など で、よくつぶつぶと物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも、笑ひ咄のように言はれるやうな世の中になつて居た。当麻語部の媼なども、都の上臈の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退けられたのであつた。
さう言ふ聴きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬堂に近い木立の陰でも、或は其処を見おろす山の上からでも、郎女に向かつてする、ひとり語りは続けられて居た」
「秋深くなるにつれて、衰への、目立つてきた姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近いところをと覓めて、さまよひ歩くやうになった」
死せる大津皇子と藤原の郎女(中将姫)の交感の物語は、
古の当麻の語部の媼と折口信夫の交感の賜物のようにも感じられる。
語部の媼のさまよいは、折口のさまよいでもある。
ふと気がつけば、私もまた、3月の春分の頃に、当麻を訪ね、中将姫の物語に思いを馳せ、
十数年前に読んだきりの折口の「死者の書」の物語を不意に想い起こしたのだった。
物語りの道を探し求める私自身のさまよいが、
死者と交感する中将姫のさまよい、
中将姫に語りかける当麻の語部の媼のさまよい、
当麻の語部の媼の声を聴き届ける折口のさまよいに、
響き合い、重なり合うような、感慨を持った。
物語のよみがえり。
つた、つた、つた。