絵本『나무도장』( 『木のはんこ』)


この絵本に登場する「彼ら」には、瞳がない。体も輪郭しかない。時には「彼ら」の体は透けて、むこう側が見えそうでもある。


「彼ら」は、済州島4・3事件の渦中の人びととして、絵本『木のはんこ」の中で描かれる。


済州4・3。それは、アメリカを後ろ盾に成立したばかりの韓国政府が、済州島を「アカ」の島だとして、アカ狩りの狂風の中に島を叩き込み、島民の9人に1人が殺されたという凄惨な事件。

海辺に駐屯した軍と警察と、山を根拠地に韓国という国家に抗議の声をあげ武器を取った武装隊と、その間に挟まれて言われなき虐殺の対象となった中山間の村々がある。


主人公のシリは虐殺の中で生き延びた子どもだ。
まだ赤ん坊だったシリを残して、シリの母と、母の村の人びとは殺された。
そのシリを救い出して育てた、育ての母が、シリの母たちの命日に、シリの母たちが身を潜めていてついには殺された洞窟で、死者たちが巻き込まれた虐殺の記憶を語って聞かせる。


そう、語りとは鎮魂であり、祈りであり、そうして沈黙の中に追いやられていた記憶は、それを受け継ぐべき者のもとに届けられる。


シリの育ての母にもまた、殺されかけた記憶があり、生きのびた事情がある。
その詳細は絵本の中で語られる。


殺された者たちは、どこでどのように殺されたかも知られずに、無縁の死者となるまいとした。死者たちが胸ポケットに入れていたり、握りしめていたりしたという「木のハンコ」、それは、生まれて、生きて、理不尽に殺されていく者たちが、最期のメッセージとして残したものなのだった。


シリの殺された母が、幼いシリに握らせたのも、木のハンコだった。


シリの母たちは、済州島の山中に散在する壺型の地の穴、奥に入れば入るほど広くなる洞窟に潜んでいた。


私もまた済州島で、、シリの母たちのような人々が潜んでいたという洞窟に入ろうとしたことがある。はいつくばって、細く暗い道をゆく。しかし、数メートルもいかぬうちに、私は動けなくなった。地の底に吸い込まれて二度と出られなくなりそうで、あまりの恐ろしさに体が動かなくなった、息すらできなくなった、その恐怖の極まる、暗闇のずっと奥の、壺の底のような洞窟の中に、シリの母たちは潜んで、そして引きずり出されて、殺された。


武器を手にした者たちが、この『木のハンコ』の中には数多く登場する。彼らは規律正しく列をなしている。彼らの体は輪郭だけ、目鼻口もはっきりしていない。彼らの目には瞳がない。彼らが同じ韓国の市民である済州島の人びとを、シリの母たちを殺した。


山水画にも通ずるという、この絵本作家の、ゆらゆらと水に滲むような美しいタッチのその筆は、もっと幸せで穏やかな風景を描くことだってできるだろうに、体の輪郭も、心の輪郭も滲んでぼやけた人間どもを描き出すのに、これほど恐ろしい効果を持つものなのか。


さて、洞窟の中でシリの育ての母はシリに、いったいどんな記憶を語り伝えるのか……。





『木のハンコ』は近々、日本語版が出版されるという。
その作者クォン・ユンドク氏のトークイベントと原画展もあるという。


-----------------------------------------------------------以下、イベントの案内。

6/26(日)韓国を代表する絵本作家クォン・ユンドクさん〜トークイベント


「CHEKCCORI」では、韓国の人気絵本作家クォン・ユンドクさんをお招きし、トークイベント&原画展を東京堂ホールにて開催します。

日本でも翻訳出版されている代表作をはじめ、これまでに制作され絵本にまつわるお話をうかがうとともに、済州島四・三事件を題材とした最新作、『나무도장(木のはんこ)』の原画を展示し、制作にかけた思い、長い取材の日々についてもじっくりとお話をしていただきます。


<イベント概要>
■日 時:2016年6月26日(日)12:00〜18:00 原画展示、絵本販売
             14:00〜16:00 作家トークイベント(日本語通訳付き)
■参加費:2000円(税込) ※原画展入場、絵本購入のみの場合は不要
■定 員:80名
■会 場:東京堂ホール