中山道を歩くうち、熊楠を読まねばならぬと気づいた。

以下は備忘メモ。


明治の世の「一村一社」(神社の統廃合)について、熊楠は強く異を唱え、「神社合祀に関する意見」を書いてる。

第一 
合祀の結果、産土神が往復山道一里乃至五里、はなはだしきは十里も歩まねば詣で得ずとあっては、老少婦人や貧人は、神を拝し、敬神の実を挙げ得ず。


第二
神社合祀は民の和融を妨ぐ。
たとえば海幸を守る蛭子社を数町乃至一、二里も陸地内に合併されては、事あるごとに祈願し得ず、兵卒が将校を亡いしごとく嘆き……


第三 
合祀は地方を衰微せしむ。従来地方の諸神社は、社殿と社地または多くはこれに伴う神林あり、あるいは神田あり。
また従来最寄りの神社参詣を宛て込み、果物、駄菓子、鮓、茶を売り、関か鰥寡貧弱の生活を助け、祭祀に行商して自他に利益し、また旗、幟、衣裳を染めて租税を払いし者多し。いずれも廃社多きため太く職を失い難渋おびただし。


第四
神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし。


第五
神社合祀は愛国心を損ずることおびただし。愛郷心愛国心の基なり、とドイツの詩聖は言えり。
西牟婁郡朝来村は、従来由緒もっとも古き立派な社三つありしを、例の五千円の基本金を恐れてことごとく伐林し、只今路傍に息うべき樹木皆無となれり。その諸神体を、わずかに残れる最劣等の神社に抛り込み、全村無神のありさまにて祭祀も三年来中止す。故にその村から他処へ奉公に出る若者ら、たまたま自村に帰る面白味なければとて永く帰省せず。芳養村も由緒ある古社を一切合祀せしゆえ、長さ三里ばかりの細長き谷中の小民、何の楽しみもなく村外へ流浪して還らぬ者多く、その地第一の豪農すら農稼に人を傭うに由なく非常に困り、よって人気直しに私に諸社を再興せり。


第六
神社合祀は土地の治安と利益に大害あり。
わが邦幸いに従来大字ごとに神社あり仏閣ありて人民の労働を慰め、信仰の念を高むると同時に、一挙して和楽慰安の所を与えつつ、また地震、火難等の折に臨んで避難の地を準備したるなり。


第七
神社合祀は史蹟と古伝を滅却す。


第八
合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す。