以下、備忘用メモ。
そもそもは最初に『鎌倉大草子』があったという。そこに1423年、関東管領足利持氏に攻めれらて敗れた常陸の小栗一族の話がある。
『小栗実記』には、戦に敗れて常陸から落ちのびて、相模の国で横山一族に毒殺されそうになる小栗判官を助ける遊女照天が登場する。照天もまた常陸の生まれで、横山一族には恨みがある。小栗は死にはしなかったものの、毒で目も見えず耳も聞こえず口もきけない餓鬼阿弥(餓鬼病み)となるが藤沢の遊行上人に助けられる。照天姫は小栗探して放浪の旅に出る。そして、あれやこれやの苦難の末に美濃で幸せに暮らし始めたものの、小栗が餓鬼病(=癩病 =餓鬼阿弥)となり、美濃から熊野への車引きとなる。
説経「小栗判官」もあれば、説経祭文「小栗判官」、浄瑠璃の「小栗判官」もある。
説経祭文では、美濃・青墓から大津関寺までの「照手 車引きの段」が盛んに語られたという。
「小栗判官 照手姫口説き」では、北野天満宮の神に小栗と照手の二人は助けられる。
中山道 柏原、青墓に語り伝えられる「小栗 照手」の伝説は、説経よりも『小栗実記』に近い。