妙義山には、山上の石の窓を大太(だいだ)という無双の強力が足をもって蹴開いたという話がある。中山道の路上にこの穴がよく見える処があり、そこの半年石(はんねいし)の上に大きな足跡があるのは、その時の記念という言い伝えがある。
その大太は南朝の忠臣、その名を大太法師、またの名を妙義と称すという話もあるのだが、貝原益軒『岐蘇路記』にも記されるように、この地を過ぐる旅人は、多くはこれを百合若大臣の足跡と教えられ、あの石門は百合若が鉄の弓をもって射抜いた穴という説が有力だったという。
九州は玄海島に打ち捨てられた英雄百合若が、関東にその伝説を残す。各地にその遺跡を持つ。新潟の新発田には愛鷹緑丸の供養塔まである。
柳田国男いわく
「つまりは村々の昔話において、相応に人望のある英雄ならば、、思いのほか無造作にダイダラ坊の地位を、代って占領することを得たらしいのである」
土地の神は、新たな強力な神が現れれば、新たな神の名で上書きされ、忘れられていく。
いま私たちが知る神の足元には、忘却の地層に埋められた神々がある。
それは、説話でも、昔話でも、人々が記憶の依代とする「器」においても、その主人公の名が上書きされていくような形で、同じように起こっていることなのだろう。