「十二世紀初頭の他力の念仏が人間の罪業意識と無力感を深めてゆく時期に、民衆のなかでは、自力の極致ともいうべき、役行者を先駆者とする修験が姿を現しはじめていた。十二世紀には、必ずしも単に末法思想と無常観が世上を覆うた時代でも、権門寺社が民衆を威圧・呪縛した時代でもなく、一見そうした現象の底に、民衆の主体性とそれを保証する宗教が育ちつつある時代であった」 (p31,32)
そうか、修験は「自力の極致」なのか・・・。
「語り物」の道、
人びとの記憶の依代としての神、そして物語を考える時に、
修験は非常に大事なポイントであるということにいまさらながら気が付く。
そして、それだからこそ、
明治の世の神々の近代化、一村一社が修験に与えた破壊的ダメージをつくづくと思う。