真宗と真言宗 神仏にたいする感覚の違い。 メモ

山岳信仰の場合、ひとは身を浄めて山に入り、木にも岩にも滝・湧き水にも礼拝する。もちろんそこに祀られている龍神の類、不動、観音、地蔵、役行者、等々(山に祀られる神仏の種類は意外に少ない)にたいしては真剣に祈りを捧げて加護を乞う。だが、そのような神仏をわが家に持ち帰ってその前に先祖の位牌を置くことは感覚的にできない。浄域もしくは異界の神仏は荒ぶる力を持ち、それによって災いをもたらす神霊を鎮圧してくれる半面、自分でもよく「祟る」」


「中世末から近世にかけて、「家」「先祖」「墓石」が意識されようになり、そこへ檀家仏教が強制されてきたとき、檀家仏教には、山岳宗教のような自力の呪術信仰を排除した、より観念的・受け身で確実に極楽往生が約束されている、実質的に易行・他力の系統の宗教がふさわしかったのではないか。徳川幕府の農民支配にとっても、そのほうが好都合だった。それが真宗をはじめ鎌倉新仏教が檀家仏教・葬式仏教化して近世宗教として定着した理由だと考える」


「私は、宗教意識論、宗教活動論の視点から、顕密仏教・鎌倉新仏教をふくめて十三世紀なかばからは、新たな知識帰命と秘密伝授という形をとって、民衆を支配し諦念を強要する宗教が形成されてくる時代ではないかとという見通しを感じている」


「それが十五世紀の蓮如の時代にさらに転じて講という集団を持つようになり、集団指導体制が知識帰命と秘密伝授の性格を薄めてゆくとき、近世へとつながる封建宗教が形成されてゆくと考える。自力・他力も、その枠組みの中で柔軟に、かつ多面的に考え直されるべきである」


「近世においては、顕密仏教や行者の自力的性格が現状打破の原動力になり得るし、自己を卑下してひたすらに阿弥陀の救済を信じ求め、いかなる苦難も抵抗せずに甘受する他力に極致の妙好人が、過酷な支配者が称賛する模範的信者になっていることは周知である」


「宗教・信仰は哲学ではない。「鎌倉新宗教」の祖師たちの「思想高さ」と、その社会的機能は別物である。民衆宗教史の研究においては、過去に成立した祖師の思想・信仰ではなく、時代の中での宗教意識の構造と、その中で果たす思想の機能こそが問われるべき問題なのである」


日本の宗教風土の中における、「自力」と「他力」の問題を深く深く考えさせられる。それは宗教意識と社会意識、共同体意識が重なり合うところでの「自力」と「他力」の問題。 「他力」とは、それを支配の構造の中に取り込んだ支配者からすれば、「去勢」とでも言い換え得ることなのか