宗教意識論から見た鎌倉仏教


立論の出発点。ここのところはとても重要。


「民衆にとって、教義は二の次である。大切なことは、そうせざるをえない民衆の心情を受けとめて、そこから考えることのはずである」


「知識人でもない民衆の信仰=宗教意識の立場から、民衆の念仏の場と、念仏の教義の展開を考えると、一つの現象にゆきあたるように思われる。それは、特定の地形、自然環境ゆえに民衆が死者供養をおこない、あるいは仏像を祀って除災を祈る宗教活動をいとなむ場からは、法然親鸞にいたる一向専修の思想が育たないことである」


「特定の地形、自然環境ゆえに民衆が死者供養をおこない、あるいは仏像を祀って除災を祈る宗教活動をいとなむ場」とは、つまり、京都の鳥辺野のような、大和の山中の隠国と認識されていたような、異界との接点とされていた地。神の籠もる地であるとともに死者の籠もる地でもあるところ。


「自然環境に由来する地の死者供養の救済者は、阿弥陀を主としつつも、地蔵でも閻魔でも、観音でもさしつかえない」。

「霊地における死者供養がかならずしも阿弥陀を必要としないならば、弥陀の四十八願や、十八願の選択に基づく一向専修とは、なおさらつながらない。反対に自然の祭祀の場が要求する清浄――それは祭祀にともなう穢の祓でもあろう――が、自力作善を手放させない。それが教義以前の宗教感覚ではないか」


★この、人と場(=自然)と関わりの中で生まれ育まれた民衆の宗教意識が「自力作善を手放させない」という視点もまた、とても重要なものに思われる。