ヨブ記をパッと開いてみたのだ。


神と称する者に、「怒るな」と言われたのだった。
「怒りをもってこの世を変えることなどできぬのだ」と言われたのだった。
「この世の不条理をおまえが怒りをはらんだ声で語るとき、まるで私が責められているように感じるのだ」と言ったのだ。
私はひどく驚いて、この世の不条理を神はそのままにしておくのかと尋ねてみたのだった。
すると、神を称する者は、「この世のことはいかんともしがたい、いかんともしがたいところに怒りを向けられても、さらにいかんともしがたい、怒りはよろしくない、自分が怒られているようでまことによろしくない、怒ってもこの世は変わらない、闘ったところでこの世は変わらない、ちまちま手を加えたところで、何をしたって、この世は変わらない、もしこの世を変えうるとしたら、それはおそらく宗教めいたものしかないのである、すべては心の問題なのである、私はそれをいま考えているのである、だから、私がこの世を救済する宗教を考えつくまで、この世に不条理に怒るな、闘うな、そもそもこの世はおまえの心持ち次第なのである。その怒りやすい心持こそが、この世を不条理なものに見せているのである。その心持をあらためるためにこそ、宗教は必要なのである。おお、なにか、宗教の糸口が見えてきたような気もしなくはない、それを私はこれから考えてみよう、だから、私が考えている間は、黙っていてくれないか、宗教が生まれるまで、静かにしていてくれないか。私にはおまえのその怒りを含んだ声はたいへん耳障りなのである」
私は神を称する者の天上から見下ろして鷹揚に語るその口ぶりがどうにも受け入れがたいのだった。
この者はどうして天の高みから声を投げおろすのか。
雨も霰も雹も風も石つぶても、天から降ってくるものすべてに身をさらしている、神の声からですら逃げようのない地べたに身を置く者に、この神は天上の安穏と守られた場所から、どうして声を投げおろすのか。
いま飢えている、いま殴られている、いま踏みにじられている、いま死んじまえと言われている、いま消えようとしている、地べたのいきものたちに、待て、怒るな、闘うな、この世は変わらないよ、変わらないこの世を生きるための宗教が生まれるまで待てとは、それ自体がなんとも不条理であるな、神とは不条理そのものであるな、まったく横着で傲慢な不条理であるな。
この神、どうしてくれようか。
こういうときは賭けに出る。
これまでに手元に集めた本の山からえいっと一冊引き抜いて、ぱらりとページを開いてみる、そこに書かれている言葉を教えとする。
この神、どうしてくれようか。そう呟きながら、岩波文庫を引き抜き、開いたページが122〜123ページで、目に飛び込んできた言葉は、
「何故君は彼と言い争うのか。」
いきなりこの言葉ですか、『旧約聖書 ヨブ記』第33章15。
それでは、『ヨブ記』の教えを読み上げましょう。

何故君は彼と言い争うのか、
「彼はわたしの言葉に少しも答え給わぬ」と。
まことに神は一度語り、
二度語られても人はそれを悟らない。
夢や夜の幻で、
深い眠りが人を襲う時
床の上でまどろむ時など
彼は人々の耳を開き
いさめをもって彼らを恐れさせる。
それは人をその悪から離れさせ
人から高ぶりを取りのぞき
その魂を滅びの穴から救い
その生命が陰府の川を渡るのを防ぐためである。

これはエリフのヨブに対する言葉ですね。エリフはあれこれヨブに言い聞かせる、こんなことも言う。

ヨブよ、耳を傾けよ、わたしに聞け、
黙してわたしに語らせよ、
返す言葉があればわたしに答えよ、
語れ、、わたしは喜んで君を義としよう。
君に返す言葉がないならわたしに聞け、
黙せよ、わたしは君に智慧を教えよう。

返す言葉はもちろんある。
返すほどのことではないのかもしれないから、返す言葉はない、とも言える。
返しても、返さなくても、大差はないんだろう、だって、教えてくれるというその智慧は、天上で不条理に手をこまねている神の心ばかりが安らかになる智慧なんだろう、天に向けられた地べたの声も心持ひとつで快い声になるような、そんな智慧なんだろう、
と私はますます怒りをはらんだ目で天をみあげる、惑った心で本の山からまた一冊の本を引き抜く。

「さあ、さあ、言いぶんがあるなら、皆にわかる言葉でいいなさい」

これは、サローヤン『我が名はアラム』(三浦朱門訳 福武文庫)P85 短編「恋愛や何かのついている古風ですてきなロマンス」のなかの一言です。あ、このタイトル、なかなかいいじゃないか、「恋愛や何かのついている」って、その「何かのついている」という感じがね。
サローヤンの言うとおり、きっと何かがついているんだよ、うん、なにかが憑いている、この地べたにも、この世にも、私にも、神にも。その何かが何であるのか、そもそも、その何かは神のうちからはみ出てきたものだろうに、神にとってすらも、もう何かはかりしれない、手に負えない何かなんだろう。
それにしても、いいじゃないか、恋愛や何かのついている古風ですてきなロマンス、神が宗教を考えつくまでに、私も心を鎮めてそういうのをひとつ書いてみようか。