禅の中のバサラ、というのは意外なタイトルだな、と『中世芸能講義』を読む。

★禅と芸能と言えば、一休さん 
後小松天皇の子。禅僧。ここに芸能者が集まる。金春禅竹、宗祇の弟子の有名な連歌師柴屋軒宗長、山崎宗鑑連歌師)、村田珠光(侘び茶の祖)……。これを「一休文化圏」という。by 松岡心平。


★中国の禅文化の流入
13世紀中頃からの約100年。「渡来僧の世紀」by村井章介 
中国のエリート禅僧が日本にやってくる、日本のエリートが中国に留学する。
それは現代のフランス哲学の流入のような様相。バルト、デリダドゥルーズフーコーのような。

★国際コミュニティとしての禅
中国〜朝鮮〜日本 日本の禅寺で中国語、日本語が飛び交う。
「禅客唐様に禅を問えば、山僧唐様に答話す。禅客日本様に禅を問えば、山僧日本様に答話す」

<和漢連句> 
たとえば、

尋来て夏までも見る遅桜  (西芳寺 無窓国師
薫風別駐春  (笠仁梵僊) 中国僧
五弦琴転調  (無極志弦)日本僧

★京と禅

京都は旧仏教が強くて、禅はなかなか入れなかった。
道元は仕方なく越前に永平寺
栄西建仁寺は、密教や天台顕教と一緒に禅。

一方、鎌倉には禅はストレートに入る。中国の禅がそっくり入る。
それは禅の遺偈という形で、その「電光」のイメージで、大いに影響を与える。

<遺偈>

無学祖元:元の兵が寺になだれ込んできて、殺されそうになった。そのときに遺偈を残した。のち生き延びて、日本へ。

乾坤孤杖をたつるに地なし
喜得す人空法もまた空なるを
珍重す大元三尺の剣
電光影裏春風を斬る
(元兵が自分に三尺の剣を突きつけている。いいだろう、それは電光影裏に春風を斬るにすぎない)

この元歌がある。中国禅宗の開祖的存在の肇法師。この人は本当に迫害で首を斬られた。

四大元主無く
五陰本来空
頭をもつて白刃に当つ
なほ春風を斬るに似たり


電光のイメージの誕生、それを無学が日本に持ってくる。(と松岡心平の推測)

そして、ここからが大事!!
太平記」には、禅宗風の遺偈を詠んで死ぬ人がたくさん出てくる。
平家物語」にはひとりも出てこない。
遺偈を詠んで死ぬというのは、『太平記』の段階で初登場した新たな死のスタイル。


★『太平記』巻十 鎌倉武士 塩飽聖遠の切腹の遺偈

吹毛(剣)を提持して
虚空を截断す
大火聚裡
一道の清風

心頭滅却すれば火も自ずから涼し」の境地。


そこには、禅の精神を肉体化した者たちがいる。禅の遺偈の「電光」のスピード感! 
「他界を信じない、今現在の一瞬一瞬がすべて、それが人間の生そのもの、それ以外何もないのだ」

臨済禅の機鋒の鋭さ、スピード、瞬間指向性。それはそれまでの日本人が体験したことのない新鮮な感覚ではなかったか。太平記の文体のスピード感はここからきたのではないか(!by 松岡心平)