「云々」なんか読めなくても、基本的にでんでん構わないです。

漢字なんか読めなくても、そもそも文字を学ぶ機会も環境も持ち得ずに大人になっても、地べたを這うようにして必死に生き抜くことでみずからを磨き上げてきた畏敬すべき知恵深い人々がこの世の中には沢山いらっしゃいますし。


たとえば、沖縄最後のお座敷芸者のナミイおばあなんて、自分のことを文字も知らないアキメクラとかなんとか言いながら、生きることにかけては凄まじくも強烈な知恵者です。見知らぬ人々の境遇に瞬時に想いを馳せて涙するような想像力も、アキメクラの知恵者の特徴です。


というわけで、「云々」をでんでんした人のことで、一番に思ったことはと言えば――、
学ぶ機会も学ぶための環境もすべて与えられていたはずなのに、世のため人のため自分のために学ぶことにも考え抜くことにも背を向けてきた、「云々」知らず、世間知らずの権力者がいて、
そいつが、自分と同じように「云々」につまずくような、そうならざるを得ない過酷な人生を自力で生き抜いてきた人々、いままさに過酷の真っ只中にいる人々を真っ先に切り捨てるような輩であることが、何にも増して私はイヤですわ、ということでした。