記憶の森を前にして。

2017年2月4日。「さまよい安寿原画展」のクロージングイベント「旅するカタリ その2」では、単に語り手が朗読したり、祭文語りが説経祭文を演じるだけでなく、そこに集う人々とともに「物語の場」を開くというささやかな試みをした。

まず私たちは、画家屋敷妙子が会場の馬喰町ART+EATの壁一面に作り上げたコラージュ作品「記憶の森」を覗き込んだ。

それは、2011年8月から2012年3月までの新潟日報(姜信子連載「カシワザキ」 挿画::屋敷妙子)の掲載紙を保存していた屋敷が、その紙面の目を引いた写真の上に紙をおいて写真をトレースし、さらにそれに手を加えたものをどんどん壁に貼り付けていく、それは膨大な枚数になったのだが、そうやってできあがったものが、「記憶の森」。

そもそもの連載が3.11後の日本を旅するようなものでもあったため、この「記憶の森」には目には見えないさまざまな光と影と闇が潜んでいるようでもある。絶望も諦めも悲しみもひそかな喜びも希望もそのなかに隠れているようでもある。

「旅するカタリ」開演前、そして休憩時間に、この「記憶の森」に参加者に分けいってもらい、記憶の森によって呼び覚まされた自身の記憶を所定のカードに書いてもらった。

「あの日私は」「あのときあの人は」「そのとき彼女(彼)は」という3パターンの書き出しで、50字以内。参加者に渡されるのは、そのうちの1パターンだけ。どのパターンが渡されるかは、受付でのめぐり合わせ。


さて、30名ほどの参加者、各パターンそれぞれ10枚ずつくらい。集まった記憶のカードを、ババ抜きのように、3名の参加者の方々に各パターン1枚ずつ引いてもらった。誰が何を書いたのかは、誰も知らない。

「あの日、私は、東名高速走行中、突然ハンドルを取られ、びっくり」<起>
「あの時、あの人は、不安な私の選択に同意し、一緒についてきてくれた、これからも一緒に行きてゆく」<承>
「その時、彼女は、救助隊に、『重いでしょう、すいません』と何度も言った。着の身着のままの様子で」<転>

そして、この3つの、なんだか偶然の見えない糸でうっすらつながっているような記憶の風景を、私がやはり記憶の森を見て書き置いておいた結句でまとめる。この結句も誰にも知らされずにいた。

「おぎおぎてぃおら えいさらえい 
 思い出のせて舟が出る
 西に向かえば極楽往生
 東に向かえば浄瑠璃浄土
 馬喰町から舟が出る
 おぎおぎてぃおら えいさらえい」


この起承転結を、記憶の森が開いた物語の場で、ひとりの旅の祭文語りが即興で歌い語る。
みんなも「おぎおぎてぃおら えいさらえい」と唄い出す。その場に集った者だけが共有する物語が生まれる。
そして、記憶の森は、舟に変じて、新たな物語、新たなはじまりへと船出するのである。


さて、そういう試みをやってみて、あらためていろいろと考えさせられた。
まずは、「集合的無意識」というやつ、もしくは、無意識下でつながる私たちの記憶、あるいは予感というものを考えたのである。
私たちはふだんの生活で知らず知らず何かに条件づけられて、ある方向で記憶を整理したり、言葉を選んだり、見えない手による編集作業を日々しているわけであるが、これは放っておけば、容易に、大きな声・断定する声に毒されていくものでもある。
無意識のくびきは、私たちを黙らせたり、口にしてもよいお墨付きの言葉や物語へと心を向けさせたりもする。

今回の「旅するカタリ」の記憶の森の前で開かれた物語の場は、この危なっかしい私たちの無意識の編集作業というものを、あらためて見つめ直す実によい機会になった。

つまり、
私たちの無意識に対する最初の条件付けを変えてみたなら、人はまた無意識のうちに別の声、別の語りを発するはず、沈黙の領域も変わってくるはず、ということにあらためて思いが及んだ。

屋敷妙子の「記憶の森」という作品にともに触れることによって、その作品によって触発されたという一点で結ばれた、その場限りの無意識の共同体によって、ある瞬間に共有される物語があるということ。それは、私たちを縛っている何かからの脱出口となり、出発点になりうるということ。そんなことを直感的に私は感じ取ったようだった。

文学や芸術は魂を解き放つ、声を呼び出す、目覚めるなにかがある。文学や芸術に触れるということの意味深さ、かけがえのなさ。
文学の場、芸術の場は、求心力から解放された無数の声、無数の魂たちの自由な「語り」の場にもなりうる。
封じる力から解き放たれた新たな物語の胎動の場になりうる。

大仰な物言いだけど、そのような場を創りだしていくこと、そのような場でありつづけることにこそ、「旅するカタリ」の楽しみも喜びもあるのだと不意に悟ったような心持。
そもそも、古来「語り」とは、中心からスピンアウトしたさまよえる語り手たちの領分だったのだから。