白山修験と平家物語と時宗

平家物語倶利伽羅峠合戦。

この模様を伝えたのは、白山修験の徒。
砺波、倶利伽羅峠周辺を徘徊した修験山伏は、白山神の霊験功徳を唱導し、倶利伽羅峠の谷底に馬もろとも生き埋めになった平家の大軍の悲惨な死にざまを口寄せで繰り返すことにより、惨死した亡魂怨霊の供養とした。


一遍の死後にあとを継いだ真教は北陸地方に時衆教団の強力な基盤を作った。その次の智得は加賀の生まれ、白山信仰の中で育ち、遊行上人となると、白山神を教団の守護神と仰いだ。
白山信仰と結びついた時衆が、白山神の霊験功徳いちじるしい木曾義仲倶利伽羅峠合戦勝利談を大きくふくらませて都まで運んだ。


『時衆の美術と文芸 遊行聖の世界』(東京美術)より。