「わたしたちはいったいこの国の国土と風景に何をしてきたのか」

と、著者は、『西行の風景』を締めるにあたって、書いている。

「この国の国土と風景」という時、著者は、西行が壮大な意図を持って、和歌をとおして作り上げた神仏習合の思想の上に生れいずる風景を言っている。


しかし、西行って、こんな人だったとは全く知らなかった。
こんな人って、つまり、「和歌即真言」と言い、和歌をとおして神仏習合の思想を表現しようとした人だということ。


それは西行が晩年に伊勢神宮に奉納した「御裳濯河歌合」と「宮河歌合」に如実に表れているという。

そして、この二つの「歌合」を、前者は藤原俊成に、後者はその子の定家に判詞を依頼する、つまり、当代一の和歌の作り手読み手に批評させることで、西行神仏習合の思想の上にある和歌(=日本の文化)という、一つの方向性を確かなものとすることを企んだのだともいう。

と、まあ、ざっくり言えば、こんなことがこの本には書かれているのだけど、これはかなり新鮮な驚き。
漂泊の歌詠みくらいのメージしかなかった私の中の西行が、いきなり力強いおじさんに見えてきた。


しかも、西行慈円、定家等々、同時代に生きていたこれらの歌人たちが、まるでメールでもやりとりするように歌をやり取りしていて、それが神仏習合の思想を背景に置いた歌の世界の空間(=風景)の構築へとつながっていく、というその情景が実にリアルで、この人たちがいまここにいるような、ひとりの人間としてありありとその姿が浮かび上がってくるような、なんだかわくわくするような感覚が読むほどに湧きおこってくる。

いやいやまことに面白かった。