たとえば、近松、

近松の『傾城反魂香』をとおして、あるいは、「道行」という表現の形式をとおして、熊野比丘尼が語られ、熊野比丘尼が歌う「相の山」が語られ、熊野信仰が語られ、「信徳丸」の乙姫の道行きが語られ、「日本書紀」の影媛の嘆きの歌が語られ、そして江藤淳はこう言う。


「どこからかあらわれて宗教と性の緊張した体験をあたえ、どこへともな消えて行く流浪の徒の群れ。私はたとえば『本朝廿四孝』の華麗な道行ぶりの舞台を想い浮かべながら、そういう流民の生活が近松以降の技巧的な浄瑠璃の世界にすら、なお生々しく映されているのを感じる。それはもちろん様式化された生活、あるいは民俗学の次元から美の次元に転換された生活である。しかし様式とは凍結された記憶であり、だとすれば浄瑠璃の道行には、単に古代の生活のみならず、海の外からやってきた流民と日本の国土の交渉の記憶、あるいは国土からの離脱の憧憬が凍結されているかも知れないのである。」