タルコフスキー『ノスタルジア』を観た

「心を込めて祈りなさい。上の空では何も起こらない」
最初にそう言うのです。
イタリアのシエーナの教会の「ただの監視人」が。あるいは、この物語の道化が。
そう、ただの人が、監視人のような、郵便配達のような人(これは『サクリファイス』に登場する道化)が、物語の最初に現われて、預言を告げるのです。
彼自身がそれが預言であることをおそらく知らない。
でも、その一言で物語は流れ出す、必然の水の流れのように。


「1+1=1」だと言うのはドメニコです。
彼は温泉町の水のしたたる廃屋に暮らしている。
彼は世界の終末が迫っていることを知っている。
それゆえに狂人と呼ばれる。
狂人ドメニコは訪ねてきたアンドレイに「1+1=1」と言うのですが、そのとき手のひらの上の水の一滴に、もう一滴、水がしたたりおちる。
手のひらの上で、水滴が「1+1=1」


これもまた預言。
一滴の水(ひとつの命)が、もう一滴の水(もうひとつの命)と、まじりあったとき、ひとつの新しい命、新しい世界がはじまる。


ドメニコはアンドレイにこうも言います。
「蝋燭に火を灯し、広場の温泉を渡りきることが出来たら、世界は救済される」
そしてアンドレイに蝋燭を渡す。


アンドレイも窓の外を水がしたたるホテルの部屋にひとり過ごしていました。
水音の中、アンドレイは幼い頃の故郷を夢見ていました。
くりかえし。
子を孕んだ母の姿を幻視しました。
アンドレイのノスタルジア
それもまた、終末の予感を色濃くたたえている。
終ればはじまる世界への予感をたたえている。


やがて、ドメニコはローマに姿を現し、広場で人びとに告げるのです。
「もし君たちが進歩を望むならば、ひとつに混じり合うことだ」
「人間よ、従うのだ、君の中の水に 火に、そして灰に、灰の中の骨に。灰と骨だ」
そして、ドメニコは、終末の中の世界の、はじまりのために、油をかぶります。
ライターを1回、2回、かちん、かちん、と着火しそこなって、
3回目、ようやく着いた火でわが身を燃え上がらせる。
預言者ドメニコは、世界のはじまりのためのサクリファイス(生贄)となる。


1+1=1


そうだ、はじまりのためには、もうひとつの「1」が必要だ。

アンドレイは蝋燭を手に、温泉町で、広場の温泉を渡りはじめる。
1回、2回、だめだ、蝋燭の炎は風に吹かれて消えてしまう。
3回目、ようやくアンドレイは温泉を渡りきる。
それは、おそらく、ドメニコが火だるまになって燃えあがったあの瞬間ではないか。

1+1=1

アンドレイは息絶えます。
終末のノスタルジア
故郷の、かつてのはじまりの風景が、これから訪れるはじまりの風景と二重写しになる。

終ればはじまる、世界は生まれ変わる。

1+1=1
1+1+1=1
1+1+1+1=1
1+1+1+1+1=1
1+1+1+1+1+1+1=1
1+1+1+1+1+1+1+1=1
1+1+1+1+1+1+1+1+1=1

世界は生まれ変わる。何度でも。
だから、「心を込めて祈りなさい。上の空では何も起こらない」。
だから、あなたとわたしと、まじりあいなさい。
水のように、炎のように。

これは水の物語、火の物語、命の物語、この世界にはじまりをもたらす物語。