文藝2017夏号 特別対談  赤坂憲雄×小森陽一「東北独立宣言(とーほぐどぐりつすんべ)― 井上ひさしをめぐる地方・言葉・文学」


この対話を読んで、あらためて日本の近代って、何だったのか、民主主義って何だっだのか、をつくづくと考えた。

たとえば、宮本常一が『忘れられた日本人』で描いた村共同体、村の寄り合い民主主義というものがある、それが根を断ち切られ、近代という仕組みにただただ従属するばかりの単なる行政区画、単なる町内会、隣組にすぎない集団に置き換えられてきた歴史がある。

村共同体の核のところにあった「神」や「仏」(これは近代以前の、神仏分離令以前の、一村一社的な神々の近代化以前の、村の神、山の神的なもの)が、国家神道のなかに秩序づけられ解体されてしまった歴史もある。
そんな歴史に想いを馳せつつ聞く赤坂さんの言葉は、いまこそ思いだすべきこと、大切にすべきこと、私達の中にまだ残されている可能性に、あらためて気づかせてくれる。


「共同――あるいは協同とか協働とか――これは震災の前に全く僕のテーマになかったのですが、震災を経験して、これを復活せざるをえないのではないかとさまざまな実践の場で思いました。もう一度そこに立ち戻って自分たちを立て直さないと、明治以降に共同体や村を国家に従属させてきた大きなシステムに対する異議申し立てができない」


「小さな共同体が世界に繋がりながら、国家に従属するのではなく、より大きな世界に開かれていく、それにはどうしたらいいのか。おもしろいことに、会津の場合、その鍵は再生可能エネルギーにありました。再生可能エネルギーって、世界に繋がる共通言語なんですよ」
(赤坂さんは、再生可能エネルギーの会社「会津電力」の設立に関わっている。原発事故を経験した福島だからこそ再生可能エネルギーをテーマとして引き受けるべきだと)


「東北は戦わないことを意識的に選んできた。勝てないけれども負けない戦いをどのように持続していくのかがやっぱり東北のテーマなんですよ。僕はそれが東北人の精神史に隠されていると思います。東日本大震災を潜り抜けて、いましたたかに、しなやかに小さな動きがはじまっています」


東北に続け。