『秋川の昔の話』(平成4年 秋川市教育委員会発行)P66〜67から。


むかし、もの売りや旅芸人が、秋川にまわってきた。時が移り産業や文化や生活が変わるにしたがい、途絶えてしまい、今はほとんどみることができない。

●こんな前置きのあと、回想されるのは、「朝鮮アメ売り」「よかよかアメ」「ピートロアメ」「毒消し売り」「清心丹売り」「富山の薬売り」「孫太郎虫の売薬」「つけ木屋」「小間物屋」「豆太鼓売り」「玄米パン」「羅宇屋」「唐辛子おばあ」「三河万歳」「角兵衛獅子」「瞽女」子育て地蔵」


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○朝鮮アメ

日韓併合のあと、
“朝鮮アメ買わんかね”
チンチントントン、かんなの刃と、アメの切り板を、
小さな金づちでたたいて鳴らしながら、
朝鮮の人がアメを売りにきた。
三尺に六尺の台に、三角形の屋根がつき、
白いアメをかんなの刃で、割っては売って歩いた。
関東大震災のあと、ばったりこなくなった。

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※こんな短い、ただ思い出したままに語っているような言葉の中の朝鮮アメ売りの行方が、どうにも気になる。
この朝鮮人のアメ売りは、関東大震災のあのときに生き延びたのだろうか? どこに消えてしまったのだろうか?

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これは「子育て地蔵」。旅するお地蔵さん。


お地蔵さんを、うしろ向きに背負い、鉦を鳴らして道を通ると、村人は赤い帽子やよだれかけを用意して待っている。
お地蔵さんは何枚もよだれかけがかかり、帽子がいくつもかぶせられていく。お賽銭箱にお賽銭を入れて、子どもが授かりますように、無事に安産できますように、子どもが丈夫に育つようにと、それぞれの願いをこめて拝んだ。