岡本太郎『神秘日本』を読みつつ、アフリカのモザンビークのマコンデ族の呪術師たちのことを思った。

9月24日 自由が丘で、「アート巡礼特別編 アフリカの呪術と音楽 モザンビーク・マコンデ族を迎えて」に参加してきた。
「マコンデ」と聴いて、呪術と言われて、私は思わずガルシア・マルケスの『百年の孤独』のマコンドを想い起こした。

マジックリアリズム

もちろん、モザンビークのマコンデ族と南米のコロンビアの架空の町マコンドはダイレクトにつながるわけではない。
マコンデ族の現実は文学でもない。

ポルトガルの植民地となり、ポルトガルのための近代化によって、生きがたい現実へと押しやられた土地には、生きがたい現実を乗り越え、近代の論理をすり抜けてゆく地霊たちが、西洋近代による封じ込めに抗して、立ち現われる。
そこは、生と死、光と闇、浄と不浄、正と邪が分かちがたかく入り混じる空間としてある。(と、行ったことも見たこともないマコンド族の現実を想う)


マコンデ族はカトリック教徒で、ポルトガル語を話し、マコンデ語を話す。
マコンデ族は刺青を入れていた。刺青を入れるときは、首まで地面に埋められて、ナイフで線を入れていくという。


コランデイロは白魔術師、医療にも携わる。
フェティセイロは黒魔術師、人を妬む、呪う、悪い心。
そこは、良い魔術師も悪い魔術師もいる土地。

たとえば、あるフェティセイロは、モザンビーク内戦で殺された白いジンバブエの兵士の霊がついているという。
このフェティセイロのもとに、人々は戦争で弾に当たらない呪術をかけてもらいに行くという。

あるフェティセイロはワニの霊がついているという。

あるフェティセイロは超巨大男根を持つという。


邪悪なフェティセイロはコランデイロが守っている家には入れない、塀にはねかえされる、はねかえされたときに塀はフェティセイロの血にまみれるという。

フェティセイロもコランデイロも白いザルのようなものに坐って空を飛ぶ。空飛ぶザル。それが呪術師たちの飛行機。
youtubeには、裸で飛行機に乗って空を飛んでいたのに、なんらかの理由で墜落して、その姿をあらわにしてしまったフェティセイロの映像がある。
(どうやらコランデイロが守っている領空にさしかかると、壁にぶつかったようにして墜落してしまうらしい)

マコンデ族の歌い手のナジャの村にはおばあさんのフェティセイロがいて、このおばあさんは夜ごと村の男を食べていた(=男たちにまたがっていた)という。
あるとき、ある男にまたがったまま外れなくなり、コランデイロの力で離れることができたが、翌日に死んだという。


歌い手ナジャはマコンデ族の祭りの仮面を日本に持ってきた。
この仮面を、仮面をかぶる役割でもない者がかぶってはならない。
祭りでこの仮面を誰がかぶっているのか、知られてはならない。
仮面をかぶって踊る時は、大地の上で踊らねばならない。人工物の上で踊ってはならない。


そうだ、人工物の上では踊ってはならないのだ。
その掟が強く心に響いた。