無縁と芸能 いまという時代を生きるために。

2017年10月23日。
戦後最悪の権力の、横暴極まる衆議院選挙大勝利の翌日に読み直す『無縁・公界・楽』最終章「人類と「無縁」の原理」。


網野善彦いわく、


実際、文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この「無縁」の場に生れ、「無縁」の人々によって担われているといってもよかろう。千年、否、数千年の長い年月をこえて、古代の美術・文学等々が、いまもわれわれの心に強く訴えるものをもっていることも、神話・民話・民謡等々がその民族の文化の生命力の源泉といわれることの意味も、「無縁」の問題を基底に考えると、素人なりにわかるような気がするのである。



原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。「有主」の激しい大波に洗われ、瀕死の状況にたちいたったと思われても、それは青々とした芽ぶきをみせるのである。日本の人民生活に根ざした「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収してやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず創造されるであろう。