文字を持つ伝承者(1)田中梅治翁 ――伝承における「明治二十年問題」!!

宮本常一曰く、
「文字を知らない人と、文字を知る者との間にはあきらかに大きな差が見られた。文字を知らない人たちの伝承は多くの場合耳からきいた事をそのまま覚え、これを伝承しようとした。よほどの作為のない限り、内容を変更しようとする意志はすくなく、かりにそういうもののある人は伝承者にはならなかったものである。つまり伝承者として適さなかったから、人もそれをきいて信じまた伝えようとする意志はとぼしかった。その話していることが真実であっても古くから伝えられていることと、その人の話が大きくくいちがっているときには、村人はそれを信じようとしなかったものである。そして信じられもののみが伝承せられていく。」


「文字に縁のうすい人たちは、自分をまもり、自分のしなければならない事を誠実にはたし、また隣人を愛し、どこかに底抜けの明るいところを持っており、また共通して時間の観念に乏しかった。とにかく話をしても、一緒になにかをしていても区切のつくという事がすくなかった」

「ところが、文字を知っている者はよく時計を見る。「今何時か」ときく。昼になれば台所へも声をかけて見る。すでに二十四時間を意識し、それにのって生活をし、どこかに時間にしばられた生活がはじまっている」

「文字を持つ人々は、文字を通じて外部からの刺激にきわめて敏感であった。村人として生きつつ、外の世界がたえず気になり、またその歯車に自己の生活をあわせていこうとする気持がつよかった。そうした中の一人として、田中梅治翁の印象はいまもあざやかである」


田中梅治翁(明治初年の生まれ)の文章に曰く
「国家トシテハ教育者モ居ラネバナラヌ、官吏モ必要デアル、工業者商業者皆夫々居ラネバナラヌ、ソレハ健全ナル田舎ノ農家カラ其人ヲ得ベキデアル、是ニハ次男三男ガ居ルデハナイカ、之ヲモッテ之ニ充ツレバタル、長男タル吾家ノ相続者ヨ、絶対ニ此貴重ナル百姓ヲ廃メテハナラヌ、此百姓ノ粒粒辛苦ハ我大日本帝国ノ国礎タル天職ト云フコトヲ忘レテハナラヌ特ニ宣言スル」


宮本常一、これについて、
「文章は時代がかっているけれども、土に生き、土を溺愛した者の声をきく事ができる。このような切実な気持が、村のすぐれた進歩的な指導者でありつつ、一方では伝承者としてばかりでなく、村を光栄あるものとして子孫にたちにうけつがせようと努力させたのである。しかも文字を持つ事によって、光栄ある村たらしめるために父祖から伝えられ、また自分たちの体験を通して得た知識の外に、文字を通して、自分たちの外側にある世界を理解しそれをできるだけ素直な形で村の中へうけ入れようとする、あたらしいタイプの伝承者が誕生していった。



伝承における明治20年問題。
「が、明治二十年前に生れた人々には、まだ新しい解釈を加えようとする意欲はそれほどつよくなく、伝承は伝承、実践は実践と区別されるものがあった。それが明治二十年以降に生れた人々になると、古い伝承に自分の解釈が加わって来はじめる。そして現実に考えて不合理だと思われるものの否定がおこって来る



★明治を境に、人を何を失い、忘れ、そして得てきたのか、ということを、あらためてつくづくと考えるべし。

★日本の近代における近代精神の問題、あるいは断絶させられた精神、もしくは心性、倫理、宗教心の問題。