足尾銅山の煙害と、山の乱伐で滅びた松木村跡(松木沢)に行ってきた。

風が吹いていた。山と山に挟まれた道をゆく、その後ろから、どっどど どどうど どどうど どどう、唸りをあげて風が追いかけてくる。
又三郎だな。
山を風が駆け下りてくるのが見える。風が蹴立てた土埃が風と一緒に山肌を走ってゆく。

風の音は、ここにある。

松木沢の風景は、ここにある。

足尾鉱毒事件、明治40年の谷中村滅亡のことを考える時、
その前に渡良瀬川上流の山の死があったこと、
明治35年松木村の廃村と村の人びとの離散があったこと、
さらには、過酷な労働環境の中でのヤマ(銅山)という、地中の無数の死があったこと、
これを忘れてはならないだろう。
足尾には生野銀山からの渡り坑夫も多かったという。
足尾にはヤマで死んだ中国人の殉難者慰霊塔も、朝鮮人の慰霊碑もある。


足尾鉱毒事件もまた、水俣と同じように、山と平地を結ぶ川、
命と命を結んでゆく水脈を抜きにして考えることはできない。
そして、山深く潜って命を削っていた者たちのことも。

山と平地を結ぶ命の水脈を断つところから、
そして、命の水脈を、死の水にかえるところから、
日本の近代は始まったのだということを、
足尾鉱毒事件をとおして、痛切に知る。