文字をめぐって

明治39年(1906)に児童就学率は96.4パーセント。 文字の浸透。


「学校教育は国家の要望する教養を国民にうえつけることであったが、それは庶民自身がその子に要求する教育とはちがっていたということに大きなくいちがいがあり、しかも両者の意図が長く調整せられることがなかったために、学校における道徳教育が形式主義にながれ、村里のそれが旧弊として排撃せられつつ今日にいたったために、村人たちは苦しみつづけてきたのである。」


「明治以来の日本人の道徳教育が、日本人の日々の民衆生活の中から必然の結果として生まれでたものではなかったということにおいて、公と私のはなはだしく不調和な、道徳に表裏のある社会現象を生みだすにいたった。」

※ 網野善彦の問い。日本人はどうして宗教心を失ったのか? と響き合う、宮本常一の考察。


「文字による教育は人々を記憶にもとづく伝承から解放し、思考と探求を自由にし、国全体の文化を飛躍的に高めていった」(果たして、文化を高めていったのか? )



以下が大事。

「それは一つには、村里の慣習や教育を学校教育が目の敵のようにして排撃したことによるともいえる」

「そして民衆は自らのもつ文化を否定することによって、国家的権威に服していったのである」