少しだけ、笙野頼子と荒神が語り合うあとがき小説「言語にとって核とは何か」から抜き書き。
「文学に何が出来るか?」だって別に出来ることをするだけだろう? だって出来ない事は出来ないから。ただ、もし出来なかったら、「みんな自分」も万が一悪くなくても、またほぼ悪くなくてもどうせただ滅ぶんだつまりそういう「判りやすい美しい売れる穏当な日本語」が文学を滅ぼすんだよ。
「たかが猫」って言うやつに政権渡したら「たかが国民」って言うだけだから。「たかが国民千人の生命」とか言うだけだから。そして。
言語の中に書くが忍んでいるのならば、それはまさに俺にとっての不幸だから。