昭和6年(1931) 国学院大学高等師範部三年の竹内長雄は、青森県南津軽郡女鹿沢村下十川字川倉コに住むイダコ桜庭スエを訪ね、『お岩木様一代記』『十六ぜん様』『猿賀の一代記』を採録した。


<『お岩木様一代記』についての柳田國男の感想>


・語り手の文作の多いこと
・是非とも守るべき伝承の少なかったこと
・之に加ふるに忘却と誤解あり
・聴手の曲従もしくは容認
・新しい文化の意識せざる影響
・ハンカチとカバンは殊に驚く
現代文学の印象がはたらいて居る
・標準語を雅語と信ずる一般の傾向について居る
・古い章句の幽かな記憶がまじって居る
・注意すべきことは三荘太夫は後から付けたして居ること


※ これはそのまま口承の、いまを生きている語りの特徴をそのまま述べたものとも言える。
  語りは生き物だから、常に今の空気を吸っている、語るごとに生まれ変わる。



五来重先生によれば>

黒百合姫物語が羽黒祭文であるのに対して、『お岩木様一代記』は岩木祭文ともいえる岩木修験の説経祭文が、津軽イタコにかたりつがれたものである。


●説経祭文の片鱗は、その語り出しに現れる。
「国のお岩木様は加賀の国に生れだる私の身の上。私の母親は加賀の国のおさだ」。
 これは、「国を申さば丹後の国、かなやき地蔵の御本地を」(山椒太夫)と響き合う。


●一人称で語るところが古い形である。

●現在津軽では丹後船、丹後の人をきらうというのは、むしろ歌説経や浄瑠璃の「山椒太夫」に影響されたためといわざるをえない。

●霊山の神仏の本地をあらわす形式は中世のものであるから、「お岩木様一代記」は「山椒太夫」よりも古い。

●三つもの山の神の本地を出すのは、それぞれに共通した説経祭文があったのを、一つの物語にまとめたことを暗示するものだろう。