震災から一年半後に、線量計を携えて、自転車で、奥の細道をたどった記録だ。忘却と記憶の分岐点で、金まみれ嘘まみれの忘却への標識を拒んで歩く記録だ。


たんたんと旅はつづく、たんたんと読んであとをついてゆく、
この道は忘却と記憶の分岐点ばかりで形作られている道なのだ、


人間の記憶なんてはかないもので、まだ終わっていない震災すら忘れてゆく、
分岐点にとってかえして、記憶の方へと歩き直すのは、かくも難しいことなのかと、
ドリアン助川の自転車のあとをおいかけつつ想う。

象潟、きさかた、ここが入り江だったこと、咲き乱れる桜の花びらの無数の絵を水面に映し出す美しい海だったことをドリアン助川の旅をとおして教えられた。

三百年ほど前、鳥海山の噴火とともに起きた大地震の際に土地が隆起して美しい入り江の海は消滅したのだという。

「私は、ひとつのシンボルとしてこの地を捉えたい。
 たった三百余年で、風景と環境はこれだけ変わるのだ。象潟の海に島々ができたのも、そこが盛り上がって陸地になってしまったのも、鳥海山の噴火と地震活動のせいだ。すなわちやはり、この列島は生きている。環太平洋の火山地域は常に激しく身震いし、土地の形を変え続けている。三百余年なんて地球史的にはほんの一瞬だ。それほど揺れ動く列島の上で私たちは暮らしている。事実、震度5以上の地震の発生率は日本列島が群を抜いて世界一だ。我が国は、地震の巣なのだ。」


象潟 蚶満寺船着き場跡  0.09〜0・14マイクロシーベルト