田中正造  治水論/水の思想

1944年8月30日日記より。


「古えの治水は地勢による、恰も山水の画を見る如し。その山間の低地に流水あり。天然の形勢に背かず。もしこれに背く、山水として見るを得ざるなり。治水として見るを得ざるなり。然るに今の治水はこれに反し、恰も条木を以て経の筋を引く如し。山にも岡にも頓着なく、地勢も天然も度外視して、真直ぐに直角に造る。これ造るなり、即ち治水を造るなり。
 治水は造るものにあらず。治とは自然を意味、水は低き地勢によれり。治の義を見れば明々たり」


1912年(明治45年)1月の日記

「国造りをなせし古来の居住、今の町村は天来の已得権なり。……近年人造、今のよの人が造れる法律の已得権と同じからず。神の造りし天来にして、無上最大の已得権なり。即ち今の国なり。之を破るは国を破るなり」


憲法・人道を拠点とする正造の戦いは古来の自治村谷中村を復活させることによって日本を亡国から救いだし、再生させることにあった。それは窮極的には、人権と自治をまったき形において具現した人民主権の国家でなければならなかった。(岩波新書田中正造』由井正臣 より)