国文学の発生  「てっとりばやく、私の考えるまれびとの原の姿を言えば、神であった。第一義においては古代の村々に、海のあなたから時あって来り臨んで、その村人どもの生活を幸福にして還る霊物を意味していた。


と、『国文学の発生』(第三稿) まれびとの意義 において折口は書く。

また、その「五 遠処の精霊」において、「沖縄の八重山」にその類例を見る。


「村から遠いところにいる霊的な者が、春の初めに村人の間にある予祝と教訓を垂れるために来るのだ、と想像することはできにだろうか。蓑笠を著けた神、農村のはじめに村および家をおとずれる類例は、沖縄県八重山列島にもあちこちに行われている」


「このおとづれ人の名をまやの神という」


「蒲葵(くば)の葉の蓑笠で顔姿を隠し、杖を手にしたまやの神。ともやまの神の二体が、船に乗って海岸の村に渡り来る。そうして家々の門を歴訪して、家人の畏怖して頭もえあげぬのを前にして、今年の農作関係のこと、あるいは家人の心を引き立てるような詞を陳べて廻る。そうしたうえで、また洋上遥かに去る形をする。つまりは、初春の祝言を述べて歩くのである」



これは、石垣島川平の「まゆんがなし」のことを折口は書いているわけで、この神の訪れの様子は、ここで観ることができる。


二度目の八重山踏査を終えて船で本土に戻ってきた折口は、北九州の門司港で1923年9月1日を迎える。関東大震災の起きた日だ。

それから2日後の9月3日夜に横浜に上陸、そして谷中清水町(今の池之端)の自宅へと歩いてゆく。

そのときの経験が詩「砂けぶり」となるわけだが、折口が震災の現場で見たのは、盛大なる「まれびと」殺しだった。