姜信子、祭文語り八太夫の「旅するカタリ」の二人組は、不知火浄瑠璃(しらぬいじょろり)と称して石牟礼道子作品を浄瑠璃語りで語りながらの旅の途上、10月15日より宗像におります。


縁あって、宗像市多禮の公民館で、『あやとりの記』の世界、そして『西南役伝説』より「六道御前」を、祭文語り八太夫を語り手に、私は狂言回しの役割で、上演することとなったのです。

ここ多禮には、人の死を、生からの地続きの自然の成り行きなのだと受け止めて、人間を病院でのチューブまみれの死から取り返して、野の草木のように虫や魚や獣たちのように、おのずと生まれておのずと死んでゆくそのかたわらにただ寄り添うという試みをしている人々がいます。

生と死のあわいを生きた石牟礼さんの文学世界を、「水俣」という固有名詞を離れて、また別のかたちで、きわめて日常的な形で実現しようとしている小さな「場」があること、そのことに驚いて、感じ入って、私はここに来たのでした。


昨日多禮につくなり、この土地の神々を訪ね歩きました。


指来神社、石鎚神社、孔大寺神社……。



初めて訪ねる神社ばかりでしたが、要は、修験の根拠地だったところばかりです。
この神社を訪ねる道々、路傍には、宗像四国88か所と銘打たれ祠があり、観音が祀られている。
不動明王がいる。かつて、盛んに活動したこの土地の里修験たちの姿が髣髴とする風景。

さらにそのもっと根源的な風景さえ見るようです。

風土に息づく命の強さというものが、この土地からはひしひしと感じられる。

あの山にも、目の前の田んぼの緑にも神が宿る、仏が宿る、ということをあたりまえのこととして生きていた人々の姿が懐かしく思い起こされるようなのです。



というわけで、慌ただしく記した、
こういう土地で「不知火浄瑠璃」をやることの歓びを思う朝の小文。