空海『声字実相義』にこうある。「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり」。それをまた別の言葉で言い換えると、↓ のようになるわけだ。

場所は記憶をもっている。そして、場所は記憶することの痛みをもっている。場所は記憶をためる。そして、それは沈黙のモノガタリを語りつづける。いや、その語りは沈黙であるどころか、じつにはっきりとした声(サウンド)を放っている。それを聞く耳、その声を聴きとる耳が必要なのだ。場所の大記憶庫を開いていく耳が。