みずからの人間再生のための文学、消費者ではなく生産者であり、みずから生きると同時に生かされえている命としての人間であるための文学。

シャマン・ラポガンの描くタオ族の美しいシイラ漁の情景を読む。
それはシャマンがシイラを釣り上げたあとのこの描写。

わたしはシイラの、閉じたり開いたりするえらをずっと見ていた。櫂を漕ぐ手は止めていた。はるか遠くからの歌声が鼓膜を打った。歌声はこのうえもなく美しかった。波しぶきの、サッ、サッという音は、ヤミ(=タオ)の人々にとって最高の和音だった。上がったり下がったり、途切れたりつづいたりする波のリズムだった。
 わたしは舟を漕ぎながら、台湾原住民の歌を口ずさんだ。もういちど、シイラを誘い出そうと思ったのだが、シイラには歌詞の意味がわからなかったらしく、二匹目には逃げられてしまった。わたしは笑ったり怒ったりしながら、舟を漕いで、浜へ戻った。岸から百メートルほどの所まで来ると、力を入れて舟を漕ぎはじめ、海面に波しぶきをたてた。村人たちは、これを見ると、シイラを釣りあげた舟だとわかるのだ。



タオ(人間)の男として生きるということ。

労働(伝統的な仕事)で自分の社会的地位を積み上げ、労働によって自分の文化の過程に深く分け入り、大自然からの食べ物を人々と分かち合い、自分に着せられた漢化の汚名をそそぎ、抑圧されてきた誇りを再生すること。